ブランドは「見せ方」ではなく、企業の意思決定である【前編】
日本人は、目に見えないものを扱うのが上手くないと昔から言われてきた。たとえば「サービス」や「相談」は料金が発生しないことが長い間当然として扱われ、「コンセプト」と言っても実態がないからわかるような、わからないような、という様子を何度となく見てきた。
「ブランド」も同じだ。実際、ブランドコンサルタント、ブランディングコンサルタントを名乗る人の職務領域は多様だ。ロゴを作るだけの人もいる。自分が美しいと思う文章に修正することを価値とする人もいる。目に見えないものを扱えないとき、人は目に見えるものに置き換えようとする。ブランドがロゴや広告だと思われてきたのは、そういうことだと思う。
ブランドとは、企業が積み重ねてきた「選択」の総体だと私は思っている。何を作るか。誰に売るか。何を断るか。一つひとつの判断が積み重なって、初めて「らしさ」が生まれる。
たとえば無印良品は、「ロゴを持たない」「有名人を起用しない」「過剰な包装をしない」という選択を一貫して続けてきた企業だ。表に見えるのはシンプルなパッケージだが、その背後にあるのは「何をしないか」という意思決定の積み重ねである。それがブランドになっている。
逆に言えば、ロゴや広告表現をどれだけ磨いても、その背後の意思決定が一貫していなければ、ブランドは育たない。見せ方は変えられるが、判断の積み重ねは短期間では変えられないからだ。
今、AIによって大量の文章やビジュアルが瞬時に生成できるようになった。ロゴも、コピーも、ウェブサイトも、ひとつのプロンプトで形になる時代だ。だとすれば、これからブランドの本体はどこに宿るのか。
AIが表層を大量生成できる時代、企業に残るものは何か。おそらくそれは、「この企業は、どういう判断を積み重ね、どのように体現してきたのか」という記録の中にある。表層を整えることと、体現することは、まったく別のことだからだ。